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ホリデーシーズンを迎えて

サンクスギビングデーも過ぎ、残りはクリスマスとニューイヤー。

昨年のサンクスギビングの日に父が亡くなったので、年末の様々なイベントやお祝いが、今年も少々苦痛に感じています。

11月初めに日本に戻り、親戚と共に実家での追悼式、母の通う教会での追悼式に参加し、富士霊園でのお墓参りをしてきました。こちらに帰ってきてから10日ほどでサンクスギビングとなったのですが、時差ボケで辛い中仕事に行き、旅行の疲れもたまってたので、サンクスギビング休暇は、ただただゆっくり休みたいと思っていました。

しかし、サンクスギビング休暇中に、2度も知り合いの家で大勢集まっての食事に参加。政治の話に花が咲き、みんなが盛り上がっている中、ぐったりと疲労を感じ、ああやっぱり来なければ良かったと実は思ってしまいました。

日本では仏教の「喪に服す」習慣があるのですが、こちらキリスト教ではありません。(ユダヤ教の方々は仏教と似たように、しきたり、習慣があるようですが。)

実際は、「喪に服しているので、これはできない、あれには参加できない」などと、しきたりごとのようにとられているかもしれませんが、今回サンクスギビングデーが近づいた時に、この「喪に服す」という習慣があればいいな、と思ってしまいました。
お祝いする気分では全くないのに、参加しなければならない。行きたくないと言って主人を一人で行かすこともできない、そんな気持ちで参加したので、やっぱり案の定、疲れただけでした。

ホリデーシーズンに家族や友人を亡くすと、世界中がお祝い気分でも、そんな気分になることはできません。街はクリスマスの飾りでいっぱい、お店に行けば陽気なクリスマスの歌と、クリスマスのデコレーションで溢れ、テレビをつければクリスマスショッピングの宣伝ばかり。そんな陽気な気分に全くなれない自分にイラついたりもします。

holidayマインドフル・セルフ・コンパッションの瞑想をしていて、こんな時こそ、自分に優しくする必要があるのだなっと実感しました。

家族や友人の死別で深い悲しみを感じている時、自分に一体何が必要なのか、それは人それぞれです。悲しい時にパーティーなどに参加し、大勢の人と接して気分が明るくなる人もいるでしょう、逆に一人で静かに過ごしたい人もいるでしょう。

自分が今一体何を求めているのか、心の声に優しく耳を傾けて、自分の今必要としていることを実際にしてみるといいのだな、とまた改めて感じました。

今の状態の自分でいいのだよ、問題ないのだよ、と受け入れらる自分の存在が大切なんです。